ひろしまモビリティワールド(HMW)が誕生する広島市西区観音新町。かつてこの場所に広島空港があったことや、HMWの計画地に広島マリーナホップがあったことをご存じの方は多いと思います。

しかし、さらに歴史をさかのぼると、現在の観音新町は1930年代に構想された広島工業港の整備を背景に形成された土地で、その後、工業、教育、航空、マリーナ、商業と、時代に応じてさまざまな役割を担ってきました。

今回は、HMWが開業する観音新町がどのように形づくられ、現在へとつながってきたのか、その歴史を振り返ります。

はじまりは「工業港」 

観音新町の歴史をたどると、1933年に広島県が計画した「広島工業港」に行き着きます。工業港建設に向けた埋立工事は1940年に始まり、1942年には三菱重工業が埋立地への進出を決定。翌1943年には、観音の造機工場と江波の造船工場の建設が始まりました。

現在では市街地の一部として見慣れた風景になっていますが、観音新町はもともと、広島の工業発展に対応するために海を埋め立てて造成された土地の一つです。

大学と空港があった観音新町 

その後、観音新町には工業とは異なる機能も加わっていきます。1960年には現在の広島修道大学の前身となる広島商科大学が開学し、観音新町にキャンパスが置かれました。1974年に現在の沼田キャンパスへ移転するまで、多くの学生がこの地で学びました。

さらに大学開学の翌年、1961年には1,200mの滑走路を持つ広島空港が開港。1972年には滑走路が1,800mへ延長され、1993年に現在の広島空港が三原市に開港するまで、30年以上にわたって広島の空の玄関口として利用されました。

空港移転後も「広島西飛行場」として運用が続き、2012年に飛行場としての役割を終了。現在は「広島ヘリポート」となり、消防・防災や救急医療などを支えています。

マリーナと商業施設の整備 

観音新町の海辺では、1990年代から新たな整備が進みます。1991年に観音地区のマリーナ整備事業が始まり、1997年には広島観音マリーナが供用を開始しました。

その隣接地に2005年に開業したのが、アウトレットモール「広島マリーナホップ」です。ショッピングや飲食だけでなく、観覧車や遊園地、水族館なども備え、約20年間にわたって海辺の商業・レジャー施設として親しまれ、2024年12月に営業を終了しました。

また、マリーナホップでは広い敷地を活用し、クルマやバイクの展示、ミーティング、モータースポーツ関連イベントなども数多く開催されてきました。買い物やレジャーだけではなく、多くのモビリティファンが集まり、交流する場所でもありました。

そして現在 

観音新町の変化は、現在も続いています。

広島西飛行場跡地では、2025年3月に多目的スポーツ施設「内外工業いくえい会 観音新町運動広場」がオープン。観音新町三丁目には商業施設が集まる観音新町モールが開業するなど、新たな施設の整備が進んでいます。

さらに、三菱重工広島グラウンド跡地などでは、大和ハウス工業による産業団地の整備が計画されていると報じられており、工場や物流施設などの誘致が見込まれています。

そして、かつて広島マリーナホップがあった場所では、ひろしまモビリティワールドの開業に向け、プロジェクトが進んでいます。

工業、教育、航空、レジャー、商業など、時代とともにさまざまな機能が加わってきた観音新町。現在も新たな施設や事業の計画が進み、街の姿は変化を続けています。

 

 

出典
・広島市「観音新町地区における造成経緯」
・広島修道大学「修道学園300年の歩み」
・広島県「広島港の沿革」
・広島市「内外工業いくえい会 観音新町運動広場」
・広島市「大規模小売店舗立地法に基づく届出」
・中国新聞(2026年9月28日付・観音新町の産業団地整備に関する記事)
・写真「広島マリーナホップ」撮影:Marinahop/Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)